1 :完全匿名の名無しさん:2018/08/29(水) 14:55- -声が聞こえる-
小さな小さな、日常の物語 - 引用元:小さな日常の物語
- 2 :声が聞こえる:2018/08/29(水) 16:10
- 「サンドイッチ食べる?」
今日もまた、聞き慣れた声がする。
"声が聞こえる"
「ねぇ、食べる?」
昔から、ずっと聞いて来た声。柔らかくて、暖かくて、俺を見てくれる声。
「いい。今腹減ってない……てかデカいなそれ」
「そう?普通じゃない?」
「お前の普通は皆の異常だよ」
「何それひっどい!」
今日も相変わらず、面倒な奴。朝早いというのに、よくここまで元気でいられるな。長い黒髪が揺れながら、仄かに漂わせる整髪料の匂いが心地よい。
- 3 :声が聞こえる:2018/08/29(水) 16:11
- 「あれ、何処行くの?由」
ソファに腰をかけて、特大サイズのサンドイッチを眺めていた千絵実の声が後ろからなった。
「散歩、行って来る」
「……そっか。最近多いね」
「そういう気分だから」
千絵実の声は少し、寂しそうだった。
「……今日も学校、行かないの?」
「………ああ」
俺は少しだけ俯いて、視界に入った小さなあいつを見つめて言葉を濁した。ちょっと前に、千絵美が買って来たそいつは、まだ子供なのだろう。俺の言葉に唯体を揺らすだけで、何も言ってはくれなかった。
「早く帰って来てね」
「分かってるって」
少しだけ土に汚れたお気に入りの黒いブーツを履いて、俺は少し重たい扉を開いた。
俺を迎えた空はまだ薄暗く、冷えた空気が僕を撫でて、消えて行った。
- 4 :純粋な目:2018/08/29(水) 16:14
- 一瞬離れていた冷えた空気は直ぐに帰って来て、それからずっと俺に纏わりつき、徐々に体温を奪っていく。
今日はいつもより一段と冷えていた。
「おはよう。由君」
いつもの様にそいつはやって来た。楽しそうに、嬉しそうに、体を自由に遊ばせながら。
「ああ、おはよう。今日は寒いな」
「……由君、いつものマフラーは?」
「え?……あ……」
そいつに言われて初めて、マフラーを忘れて来た事に気がついた。
「……道理でいつもより寒いと思ったわ」
「ははは。全くドジなんだから」
「うるっせぇ」
「でもこの間よりかはマシだよ。この間なんか靴かたっぽづつ違うの履いてたじゃない」
「……」
- 5 :純粋な目:2018/08/29(水) 16:15
- 何か言い返してやりたいが、いい言葉が浮かばない。断片的に浮かぶ言葉は、全て的外れだ。
揚げ足とりは得意だ。俺はそうやって、今まで生きて来た。烏の様に生きて来た。
それでも俺はこいつには敵わなかった。
いつも笑顔で、楽しそうに日々を過ごすこいつには。
それは時に眩しすぎて、俺の言葉は怯えてしまう。
弱いな、俺は。
そんな俺が次に聴いたのは、歌だった。
明るく、少し跳ねた歌。そいつの喉が震えて俺まで届く。
「……楽しそうだな」
「そりゃそうさ。歌う事は僕の生き甲斐だからね!」
漫画みたいに輝く目は、真直ぐ僕を見ている。
やっぱり眩しい。
「……そうか。俺と一緒だな」
「由君も歌、好きなの?」
「まぁな」
- 6 :純粋な目:2018/08/29(水) 16:16
- 「それじゃさ!一緒に歌おう!」
そいつは頬を赤く染めながら、俺に言った。体全体を使って興奮を表情している。俺には出来ない芸当だ。
「……ほら、友達が待ってるぞ」
俺は少し離れた距離でこっちを見ているやつらを見ながら言った。
多分、俺が怖いのだろう。会話に入ってこようとはせずに、こちらの様子を伺っている。
「あ……ごめん、約束してたの忘れてた!」
「そんな大事な事忘れんなよ」
「ごめんごめん。じゃ、また明日ね!明日一緒に歌おう!」
そう言ってそいつは、友達と一緒に俺の元から去って行った。
俺の手に届かない……遠く、遠くへ。
- 7 :名も無い旅人:2018/08/29(水) 16:19
- 俺はあいつの歌ってた歌を覚えてる限り真似して歌いながら、いつもの散歩コースを歩いた。
記憶が曖昧な部分は、自分なりにメロディをはめ込んで補充する。
素朴で、それでいて懐の深いメロディは、いつもより感じる俺の寒さを預かってくれた。
いい歌だ。俺もこんな歌作りたいな。
明日、楽しみだな。
そんなこんなを考えながら、いつもの散歩コース、まだ誰もいない幼稚園の角を曲がると、前から見ない顔の奴がやって来た。
その体は酷く汚れていて、傷だらけ。脚を引き摺りながらこちらに向かって来た。
「初めまして、見知らぬお方」
「………なぁ」
「ん?」
「今俺の事、汚いと思っただろ」
その一言で俺は悟った。
こいつ、慣れてんなぁ。
「ああ、思った」
こういう奴には何言っても敵いやしないもんだ。
「……ありがとう。俺は上辺の嘘が嫌いでね」
少し無愛想な顔をしているが、いい奴そうで安心した。
- 8 :名も無い旅人:2018/08/29(水) 16:22
- 「見ない顔だけど、あんた名前は?」
「……そんなもの、当の昔に捨てちまったさ」
「じゃ、何処から来たんだ?」
「長い旅をして来たんだ。忘れちまったな」
その二言は、俺を馬鹿にする言葉でも茶化す言葉でも無く、唯、悲しい言葉。
俺の心にはそれだけが残っていた。
「何で旅なんかしてるんだ?」
男は遠い目で空を見ながら言う。
「……さぁねぇ」
ただの一言。それが多くの過去を語ってくれた。
「……逃げてるのか?」
名無しの旅人は耳をぴくりと動かした。
俺の目は見ない。
- 9 :名も無い旅人:2018/08/29(水) 16:23
- 「……俺と一緒だな」
久し振りに目が合った。真直ぐ、緩やかに。
「……そうか。………ありがとう」
「どう致しまして」
ふざけて紳士風に頭を下げたのが良かったらしい。その旅人は、静かに笑っていた。
- 10 :名も無い旅人:2018/08/29(水) 16:23
- 「お前、名前は?」
「浅羽 由」
「……由。頼みがある」
「何?」
「あの小さな電柱に、俺の名前を付けてくれないか?」
古ぼけたコンクリートの電柱。灰色の体に、黄色と黒のしましまを一部に巻き付けてそこに立っていた。
「お前が、俺の事を忘れない様に。俺が生きた証になる様に」
「……ああ。わかった」
名無しの旅人は、それだけ伝えると、サヨナラも言わずに去って行った。
もう会う事は無いだろうが、少しの希望を込めて、去り行く背中に俺は言った。
「また来いよ」
その背中はもう、悲しくなかった。
- 11 :小さな繊細:2018/08/29(水) 16:26
- 時が経つに連れて幾分空は明るくなったが、それでもまだ薄暗い。
辺りに人の姿は見当たらず、唯、風が呼吸をする音が聞こえるばかりだった。
ふと目線を左にずらすと、そこに小さな子供が立っていた。
背の低い子が一人。おどおどとこちらを見ている。
「初めまして。今日も寒いね」
「……どなた?」
「浅羽 由ってんだ。近所に住んでる」
「あ、は、初めまして」
つまづきながらのこいつの言葉は、少し怯えている様に感じた。
人見知りをするのかな。
俺はよく怖がられる。
いつも不機嫌そうな顔をしていて、他人から見ると近寄りがたいらしい。千絵美に指摘されて初めて気付いた。
そんなだから、学校にも行けずにこんな生活を送っているんだろうな。
それがわかった所で、どうしようも無かった。
- 12 :小さな繊細:2018/08/29(水) 16:27
- 「……お前、いつからここに?」
「ずっと前から……いたよ」
「……マジ?」
「うん。だから僕、由君の事知ってたよ」
いつもの散歩コース。週に三度、たまに四度ここを通る。それでも俺はこいつの事を知らなかった。
「だからさ、今日初めて僕の事を見てくれて、凄く嬉しいんだ」
喜びの言葉と共に、何処か悲しげな顔。その矛盾が叫んでいる。
ああ、こいつも俺と一緒なんだ。
「……ごめんな」
俺はその顔に向かって謝る事しか出来なかった。他に言葉が見当たらない。
- 13 :小さな繊細:2018/08/29(水) 16:28
- 「……僕は嬉しいんだよ?」
そいつは困った様に、俯く俺の顔を覗き込んだ。
「……ああ、そうだな」
「変なの」
また少し笑うその顔は、さっきより幾分楽しそうに見えた。
「じゃあ、俺行くわ」
「うん。風邪引かない様にね」
「お前もな」
小さく笑うその顔は、そいつの姿に似合いすぎて、残酷に見える程に美しいものだった。
- 14 :俺の声:2018/08/29(水) 16:29
- また新しい友達ができた。
この散歩を色付ける。明日の楽しみになる。
それだけで俺は嬉しかった。
俺は物心ついた頃から此所にいて、物心ついた頃から散歩をしてる。
理由はただ、自分の歩幅に合わせてゆっくりと流れる景色や、時の経過やその日の天候で変わる匂いが好きだからだ。
今まで何百とこの道を通って来たが、一日として同じ景色を見る事は無かった。
そんな所に惹かれるんだろうな。
乾いた匂いと朝靄が静かに街を包んでいる。沢山の命の呼吸の音が聞こえる。
その音は極微かなもので、昼間の喧騒の中では聞く事は叶わない。
人の善意も、悪意も、意志さえも、それを聞くのに邪魔な存在だ。
だから俺は、一人なんだろうか?
そう思って間も無く、一人の顔が浮かぶ自分がいた。
黒い髪に、優しい瞳。整髪料の匂いが心地良い、あいつの顔が。
また遅くなったな。
あいつ怒ってんだろうな。
頬を膨らます姿が目に浮かぶ。
見慣れた景色の中、見慣れない空気を感じながら、俺は同じ歩幅で来た道を戻り始めた。
あの場所に寄って、帰るとするか。
- 15 :私の声:2018/08/29(水) 16:31
- 静かな部屋、ソファの上。時計は由が出て行ってからそろそろ一回り。わかってはいたけど、やっぱり今日も遅い。
いつものマフラーも巻かずに……本当に勝手な人。風邪でも引いたらどうするのよ。心配するのは私なんだから。
頭の中でいつもの様に愚痴を零しながら、私は適度に身を整えて、手提げ鞄を持って慣れない扉を開いた。
迎えに行こう。
由と違って普段こんな時間から外に出ない私は、朝の空気に身を硬くさせられながらぎこちなく歩いた。脚が寒い。スカートなんて履いて来るんじゃなかった。
マフラーに顎をうずめながらふと上を見ると、電線の上に小さな小鳥が二羽、楽しそうに囀り合っていた。
兄弟なのか、友達なのか、はたまた恋人なのか、私にはよく分からなかったけど、歌を歌ってるって事は何となく分かった。
だって由と同じ目をしてるんだもの。
小鳥が飛び立った電線を目で辿りながら、私は再び歩いた。空は少しずつ明るくなって来ていて、日の出ももうすぐだ。
私は由の散歩コース、まだ誰もいない幼稚園の角を曲がり、少し進んだ所に一匹の猫がいる事に気付いた。
見た所野良猫ね。身体中に泥をつけていて、お世辞にも品がいいとは言えない。
そんな野良猫は、黄色と黒のしましまを体に巻き付けた電柱をじっと見上げていた。
何か思い入れでもあるのかな。
私には、その猫がとても嬉しそうに見えた。
その猫の電柱から真直ぐ進んで行くと、道の端に小さな一輪の花が咲いているのが見えた。
これは……タンポポ?
こんな時期に珍しい。
一輪で咲くその姿はとても可憐で、私はタンポポに恋をするライオンの歌を思い出した。
今ならそのライオンの気持ちも、よくわかる。
私はそのタンポポが寒くないように、朝露を手で拭ってあげた。
もしかすると、余計なお世話だったかも知れないけど。
「さようなら、また来るね」
私は独り言の様にそのタンポポに言葉をかけ、また歩き出した。
由のお気に入りの散歩コースを。
- 16 :二人の声:2018/08/29(水) 16:34
- 「由ー!」
聞き慣れた声がする。
振り返ると、遠くに見える黒い髪の女の子。ブーツを鳴らしながらこっちに走って来ている。
俺の目前にまで来る頃には、白く変わった息を肩でしていた。
「……もう、何回言ったらわかるの!?」
呼吸の隙間に声を挟むその姿は単純に辛そうで、何だか悪い事をした気分になった。
実際にしているんだろうけど。
「……何が?」
「……もういい!」
リスの様に頬を膨らます千絵美。想像した姿と寸分変わらなかった。
- 17 :二人の声:2018/08/29(水) 16:35
- 「ごめんごめん、冗談だって」
千絵美は俺の言葉など聞かぬ存ぜぬでそっぽを向いている。
面倒臭いけど、あったかい。その言葉が本当に似合う。
「それより丁度良かった。来て」
そう言って俺は拗ねている千絵美の手を強引にとって走り出した。
「え!?ちょ……何処行くの?」
千絵美も驚いた様で、その拍子にさっきまでの機嫌は何処かに飛んでしまった。
「見せたいものがあるんだ」
あの場所へ。
- 18 :風になる:2018/08/29(水) 16:37
- 「ちょっと!何とか言ってよ!」
「いいから」
俺達は二人で冷たい風を掻き分けながら走った。
「……もう何なのよ」
千絵美は一時戻っていた機嫌をまた傾かせて呟いた。
走って来た所を更に走らせているんだ。仕方ない。
でも、走らないと間に合わない。辛いだろうけど頑張ろう。
声には出さず、静かに千絵美を励ました。
風が頬を撫でて二人とすれ違う。冷えた耳がキンキンと痛む。白い息は小刻みに俺の体から抜けていき、まわりの空気に混じって消えていく。
体が温まると共に手を握る力が強くなる。
それに伴って、千絵美も強く握り返す。
「……楽しそうだね」
千絵美に言われて気が付いた。
俺は知らぬ間に笑っていた。
裸の木々の茂った道をすり抜けて、少し急な坂を千絵美の手を取りながら登っていく。
もう寒さなど関係無く、額からは汗が滴り始めた。
千絵美の掌も汗で湿っている。
千絵美の機嫌は知らない間に直っていて、俺達は二人で笑っていた。
「ほら、着いた」
行き着いた場所は、小さな丘。
- 19 :声が聞こえる:2018/08/29(水) 16:42
- 「ここって……」
「俺のお気に入りの場所なんだ」
そこは草木が静かに呼吸をする小さな丘だった。
そこからは街が一望できて、朝靄に飲まれた街が目前に広がっていた。
「ほら、座って」
俺は一足先に丘に腰をかけて千絵美を導いた。千絵美は俺の導き通りに、丁寧にスカートを織り込んで俺の隣りに座った。
目線が同じ高さになる。
二人して少し目を合わせた後、俺達は街を見下ろした。
「昔さ、よく此処で絵を描いたんだ」
「絵?」
「ここから見える街の景色の絵をさ」
山の向こうの空が徐々に明るくオレンジに染まっていく。
時が来た様だ。
「この景色を、千絵美に見せたかったんだ」
黄色い光が、空に広がっていく。
眩しい位に、美しい位に。
手を伸ばせば触れられそうな位に。
それは街を包み込む朝靄に反射して、街全体を光で満ちた街に変えてしまった。
- 20 :声が聞こえる:2018/08/29(水) 16:44
- 「綺麗……」
千絵美の潤んだ目は太陽の光を受けて、それはもうこの世の何より美しかった。
少なくとも、俺はそう思った。
「この景色は俺だけのものにしておこうと思ってた。俺の心の中だけに、俺の為だけに、この太陽が昇ればいいと思ってたんだ」
千絵美は俺の方を見て、小さく頷いた。そしてまた、光で満ちた世界を仰ぐ。
「でもさ、千絵美には知って欲しいんだ。知って欲しいって思えたんだ」
その丘は、その街は。
明るい小鳥が歌を歌ってた。
泥に塗れた猫も歌ってた。
可憐なタンポポも歌ってた。
風も、木も、地面も、空も。
皆一緒に歌ってた。
「……だからさ」
「……?」
「俺は歌を歌うんだ」
千絵美の頬を涙が撫でるのが見えた。
- 21 :声が聞こえる:2018/08/29(水) 16:44
- 「……私も歌うよ。由と一緒に」
「これからも?」
「……いつまでも!」
街を見渡す丘の上で笑い合う。
そうだ。
生まれて来て、初めて流すこの涙。
この日の為にとっておいたのだとしたら、頷ける。
俺はこいつと生きて行くんだ。
太陽はすっかり登って、眩しい光で満ちた街はいつもの街に戻っていた。
「そろそろ帰るか」
「うん………あ!その前にさ!」
そう言って千絵美は何かを思い出した様に、持っていた手提げ鞄から何かを取り出した。
それは少し大きめのバスケット。
「サンドイッチ食べる?」
今日もまた、聞き慣れた声がする。
おわり
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